茅ヶ崎 太陽の郷
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太陽の郷の歴史(南湖院の歴史)


茅ヶ崎海岸に面した広大な砂丘に、明治32年結核療養所「南湖院」が建設され、独自の療養哲学による「闘病生活のための環境整備」が行われていました。 太陽の郷は、この南湖院の跡地の一部にあります。
南湖院は、毎年盛大なクリスマス(医王祭)を行い、各界の方々をお招きしました。会堂(医王堂)での催しもの(講演会・日曜学校児によるクリスマス劇)や野外園遊会を開催するのを恒例としていました。
クリスマスにおみえになった方へのプレゼント(引き出物)として、療養生活や療養所設備を撮影した絵はがきを何年間もつくりました。色あせていますが、南湖院を創設した祖父「高田畊安」の意気込みが随所に感じられる絵はがきです。
単に広告宣伝用につくったのではなく、別な目的があったように思います。
南湖院の敷地内で生まれ育ったものの目を通して、これらの絵はがきを順次掲載し紹介します。
■富士山を望む ■南湖院プール ■地殻変動(関東大地震)
杉花粉
<近日公開予定>
太陽の郷は、旧南湖院の跡地にあります。
明治32年、相模川河畔の荒涼とした砂地に、現存している第一病舎が建てられ、 南湖院の歴史が始まります。
一世紀前の、当地の情景を想像してみましょう。
およそ85年前、南湖院院長高田畊安は、広い南湖院の敷地のなかに、この地特有の強い南西風を避ける場所を探し、リハビリテーション用のプールを建設しました。 80年以上まえのことですが、大きな地殻の変動がありました。古老の話では、「2mくらい隆起した」ときいています。
地上につくったマンホール・ポンプ室の防水構造、古い記憶と絵はがきから、震災前の地盤の高さを推測します。
 
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