南湖院記念 太陽の郷庭園

茅ヶ崎市と太陽の郷は、2016年4月1日、「南湖院記念 太陽の郷庭園」を一般公開しました。
ここには、かつて、東洋一のサナトリウム(結核療養所)と謳われた「南湖院」(1899~1945年)がありました。
南湖院については、「南湖院の歴史」ページをご覧ください。

開園日 月・木・金・土・日
休園日 火・水・年末年始(12月28日~1月4日)
開園時間 4月~10月 10:00~17:00
11月~3月 10:00~16:30

※ご入園は閉園の30分前までとします。
※受付ハウスで受付手続きをしてからご入園してください。

~下記の行為は禁止します~
■園内の施設、植栽の損傷
■園内を独占しての利用
■球技・ボール遊び
■犬の散歩
■飲食・飲酒・喫煙(水分補給は可)
■テントの使用(レジャーシートは可)
■自転車等の乗り入れ
■花火・火気の使用
■その他、利用者に危険や迷惑をかける行為
※太陽の郷の居住者のプライバシーを侵さないようご利用ください。
※通常公開エリア以外のご利用をご希望の方は、太陽の郷フロント(TEL.0467-87-0819)に、1週間前までにご予約ください。
※お車でのご来園はご遠慮ください。
※第一病舎の内部は整備が完了してからの公開となります。

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「南湖院記念 太陽の郷庭園」について

南湖院の創設者高田畊安の没(1945年)とともに、南湖院はその役割を終えました。これは、画期的な結核治療薬である抗生物質・ストレプトマイシンの出現と時を同じくします。
南湖院の閉鎖後、この地は海軍による接収の時期(1945年)を経て、1946~1957年(昭和21年~32年)は米軍の接収するところとなります。
米軍からの返還後、1979年(昭和54年)、畊安の孫にあたる高田準三により、この地に、有料老人ホーム太陽の郷が開設され、畊安の思想を受け継いだ運営がなされてきました。準三は、広大な土地を大事にし、南湖院遺構と調和の取れた自然な庭園造りを心掛けて、豊かな緑の中に豊かな高齢者の生活環境の創出に尽力してきました。この広大な緑地面積と南湖院遺構は、茅ヶ崎市にとっても貴重であり、準三は晩年この環境を末永く残すことを意図して、2014年、第一病舎とその土地を茅ヶ崎市に寄贈することを服部茅ヶ崎市長に申し出ます。準三は、2015年3月志半ばで没するところとなりますが、遺志を継いだ長男高田耕太郎により、2015年12月第一病舎とその土地が茅ヶ崎市へ寄贈されました。

受付ハウス

茅ヶ崎市と太陽の郷の運営母体である一般社団法人南湖荘は協定を結び、翌2016年4月、第一病舎ほかの南湖院遺構の存する太陽の郷の敷地の北側部分約12,000㎡を「南湖院記念 太陽の郷庭園」として一般公開しました。庭園への入園門(太陽の郷北門)を入るとすぐ左に無人の受付ハウスがあります。入園台帳に記帳し、番号札を首からさげてご入園ください。

当時の建物として、第一病舎(明治32年築)、院長室棟(大正15年築)、医局(愛光室別館、昭和5年築)が残され、遺構として、南湖院の中核建物であった愛光室玄関前の石垣・丸池・藤棚、副長室前にあったひょうたん池、高田畊安碑などが点在していて、緑の散策路を辿りながら、往時を忍ぶことができます。また、太陽の郷正門近くの小高い所から望む富士山は、関東富士見百景に選定されており、白亜の第一病舎を右に従えた構図は、訪れる人に一服の清涼剤となっています。

開園以来、庭園には、茅ヶ崎市民はもちろんのこと、茨木・栃木・群馬・千葉など関東一円から、更に静岡・富山や遠く関西・北海道など全国津々浦々からの来訪者があります。
2018年3月、第一病舎は国指定の登録有形文化財に登録されました。多くの南湖院を語るべき資料が残されています。第一病舎はそれらの展示スペースとして整えられ、「南湖院記念 太陽の郷庭園」の中核施設として公開される予定です。

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