南湖院の歴史

<診察、病室>
 
高田畊安の診察の様子と病室の様子です。

<衛生施設>
 
 

サナトリウムには、周辺から忌み嫌われる側面がどうしても付きまといます。結核菌を外に出さない工夫が様々な局面でなされています。
細谷台と呼ばれる小高い台地の上に給水タンクが用意され、給水配管が各病棟・施設に巡らされて、上水が供給されました。トイレは水洗で、汚水等の排水は下水配管を経て汚水処理施設に導かれ、浄化されました。

 
これは屎尿焼却施設と、塵芥焼却施設・野菜屑焼却施設です。

 
汽缶室では、4台の汽缶(ボイラー)で高温の蒸気を作り、消毒・滅菌を初めとして、炊事、浴室、洗濯等に供給しました。高温蒸気は、病室や執務室の暖房にも利用していました。

 
喀痰の処置としては、手を触れずに足で開閉できる痰壺が置かれ、喀痰は集めて高温煮沸消毒されました。

<外気浴、日光浴>

日光浴も治療の大事な一環で、敷地内には静臥堂、海気室、日光浴場などと呼ばれる外気や日光に当たる施設が点在していました。

<測候所>
 
畊安は、結核治療と気候の関わりを把握しようとして、気象観測のための測候所を開業間もない明治34年に開設しています。畊安の医療への取組姿勢の一端を表わすものとして興味深いものがあります。ここでは、気象庁の公式記録とされるほどのデータ取りが行われていました。

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